ザッピング

チャンネルはころころ変わる

2023.07.02

 

このことを書くかどうか、書いてからアップするかどうかまだ迷っている。

でも発散したかった。この2か月、どう書こうか何度も頭の中で考えている自分がいた。

 

威神のペンミから2か月が経った。私はあのペンミがとてもつらかった。

帰り道、号泣して全然泣き止めなくて友だちに迷惑をかけ、別れてからもまだ泣いて、天啓のように「ああ限界だな」って思った。もうやめよう、こんなこと。この2か月は曲も聴いてないし、動画も見てないし、かといってスッパリやめた!と宣言できるほどでもなく、威神とNCTへ向けていた気持ちが宙ぶらりんのまま過ごしている。

何がつらかったのか、率直に書くとまあSherlockカバーが原因だけど、でも韓国でも見てきたし、海外ペンミで動画が上がれば楽しみに見ていたし、自分でもどうして今回だけこんなにショックを受けてしまったのか分からないでいる。

 

Sherlockを最初に週刊アイドルでカバーすると聞いた時は、一日中原曲を聴きながら誰が誰のパートをするのか想像した。その想像がドンピシャで当たった時の気持ち。何て言えばいいか分からない。嬉しさというよりも、それくらい予想できるのが自分の中で当たり前だった。当然のことだった。

ソウルで目の当たりにした時。一緒にカバーされる他の曲がかかった瞬間から身構えてドキドキして、かき分けてセンターに入ってくるあの横顔を歯を食いしばりながら見た。オペラグラスを持つ手がぶるぶる震えた。それくらい動揺してもあの時は自分の中で消化できた。何より嬉しかった。私はもう二度と聞けないし、聞きに行く気もないイントロのSHINee is Back、それを目の前で踊っている人たちがいる。ありがとうって思ったんだ。本当にありがたかった。

 

だから今でも、どうして日本ペンミであんなにショックを受けてしまったのか分からない。日本ペンミは、ペンミツアーとは別枠で別タイトルとして実施されたものだったから、まさかやるとは想像もしていなかったせいかもしれない。日本で会うという環境そのものだったかもしれない。何より、Sherlockがわざわざ日本語バージョンだったからかもしれない。つらかった。全身が震えて、座っていられなかった。あの震え自体がトラウマのようで、もうその感覚を思い出したくない。

曲を当てるゲームの時に、司会の方がDiamonds OnlyをDiamond Skyと言い間違えた。あの一瞬のことを気づいていた人がどれくらいいたんだろう?よりによってその曲と間違えなくてもよかったのに。

 

分かってる。誰も悪くない。それは分かってる。でも私は傷ついた。全てに傷つけられたような気がして、疲れて帰ってきた。ずっとずっと楽しみにしていた気持ちも、全員分のアクスタを買って浮かれ切っていた直前までの気持ちも、全部消えてしまったみたいだった。もう一度言うけど、誰も悪くないのは分かっている。でも、私も悪くないよね。私、こんな思いをするためにアイドルを好きになったんじゃないよ。もう5年以上も経つのに、どうして私だけここから抜けられないの?どうして私だけ、5年前にしがみついてるの。

 

いや、ごめんなさい、分かってるんだ。分かってるばかりだけど、本当に分かってる。あの時傷ついた人たちが、それぞれの道を歩いて踏ん張っていること。SHINeeの4人が、想像も及ばないような苦しみを抱えながら生きてきたであろうことも。私だけじゃないこと、分かってるんだけど、もう5年も経つのに、私は私の苦しみから逃れられなくて手放せなくて、まだここにいる。もう5年も経つのに!私は元気、平気になったと思っていたのに。ショックだった。ショックなことがショックだった。

この5年半、気持ちの浮き沈みをどうにかこうにかやり過ごしながら生きてきて、カウンセリングに頼ったこともあったけど、まあ今はまたカウンセリングに行くほどではないなと思っていて(カウンセリングの効果はあったと思うので)でもそこまでではないけどしんどいなっていう時、友だちにそれを言えるのかと言われれば、答えはNoだった。この話、重いじゃん。いや~じょんがいないからさ、しんどいんだよね。知ってる人はどう答えればいいか分からなくなるだろう。ましてや知らない人に、好きなアイドルが自ら逝ってしまってさ…って言える?言えないよ。言えなかった。でも一番言えなかったのは、じょんペンじゃないシャヲル。じょんペンじゃない彼女たちが苦しんでないわけじゃないなんてそんなことは絶対ないけど、あの時ドームに立った彼らを今もどこかで恨んでいる私に、それが私を慰めるためで納得させるためであったとしても、与えられる言葉はどれも傷つくものだった。というか、だいたい誰に話しても返ってくる言葉にいちいち全部傷ついて、話したことを後悔してしまうので、そんなメンタルならもう話さない方がよかった。

 

だけど話さないせいで、私は悪くない!って私つらいよ!って大声で言う機会も権利も失ってきたことに気づいた。他の人を好きになって楽しくやっている自分が、つらいって言う権利があるのかも疑問だった。でも気づいたから恥ずかしげもなく言うけど、私は我慢してきた。大丈夫だと自分にも周りにも装ってきた。

 

あれからシャオジュンを見ると、誰の顔なのか分からなくなる。

シャオジュンの声を聴くと、どちらの声なのかすぐに判断がつかない。

もうとにかく離れようと思っていて、離れようというか離れた方がいいと思っている。このままやめるのか、どこかで戻ってくるのかは全く分からない。ペンミ直後は、とにかく一旦休もう、やめたい気持ちもあるけど決心できないから一度離れようと思っていたけど、2か月をそうやって過ごすとその状態に慣れてしまって、戻りたいのかどうかももう分からなくなってしまった。

 

でもクンが好きだ。

ペンサの時、クンが私のアルバムに書いてくれた言葉。世界にたった一つの私だけの言葉。誰にも教えないって気持ちは変わらないけど、それは約束のような言葉だった。その約束を守るのを楽しみにしていたし、守り続ける自分でいることそのものが未来だった。今もまだ、その約束を守りたいと思っている。

 

私もSHINeeの新曲を楽しめる人でいたかったし、5年も経てばそうなれると思っていた。そうじゃなくてもずっと威神を好きでいたかったし、そうするつもりだった。

ニュイを好きになった時も、じょんうに出会った時も、威神を見つけた時も、じょんがいたらこの人たちと出会わなかったのかなと思った。じょんがいても、この人たちと出会った時の幸せを知りたかったし、一方でじょんがいないからこの人たちと出会えたという事実があった。そのことがいつも複雑だった。でもじょんのことを考えずに、頑張って楽しんで生きていくためには、私にとって必要なことだった。

じょんが自ら去ってしまったということを乗り越えるために必死だった。けど、生きていた時のじょんと、それから自分の気持ち自体と向き合うことをしてこなかったかもしれない。だからこうなったのかもしれない。分からないけど。私が知りたかったのは、どうしてじょんは自らいなくなってしまったのかということで、12月18日という日がなければよかったのかということで、でもその答えが出ることは永遠にないのだった。なのに私はまだそこにいて、同じところをぐるぐるしながら答えを探し続けている。

 

たぶんこれからも、いろんな気持ちを抱えながら生きていくんだろう。気持ちをコントロールしながら、過ごしていくんだろう。私は、これだけ時間が経てば大丈夫になれると思っていたし、実際NCTを好きで本当に楽しくて大丈夫になったと感じていた。実際はもう少し時間がかかるのか、もしかしたらずっとこうなのか、そのことを受け入れるのすらまだ嫌でたまらない。

5年半前のあの日から、長い長い旅に出たみたいだ。