イヤホンが壊れた。
初めて手にした、正真正銘の完全ワイヤレスイヤホン。SONYのWF-1000XM3。
わたしは新しいものにすぐに手を伸ばさない。新商品のお菓子や、いつもと違う味のものなんかは絶対に買わないタイプだ。身の回りのものも同じで、初めて持ったスマホは周りよりも少し遅れてiPhone5だった。
イヤホンも長いこと有線を使っていた。特に不便は感じなかった。
しかしだんだんと、電車の中やすれ違う人の中にワイヤレスを見る機会の方が多くなった。自然と興味を持った。わたしは外でも家でも常に音楽を聴いている。だからどうせならいいものが買いたい。詳しいサイトなんかを見ても専門的なことが理解できるわけじゃないけれど、それでもどれがいいんだろうと調べるのは楽しいと思った。
ゆっくり決めて、そのうち買えたらいいなあくらいの気持ちが、今すぐ買いに行こうという決意までになったのはあの10月だった。わたしにとってたった一人の女の子が、道に迷ったあの10月。
あの頃、わたしは心を強くしていたかった。いつもいつも真っ直ぐな眼差しと、凛とした光のような強さでわたしを導いてくれた彼女が、本当はその裏にある弱さを必死で見せないようにしていたんだと知ったから。代わりに自分が、ここで踏ん張らなくてはいけないと思った。
店員さんと相談して買った新しいイヤホンで、繰り返し繰り返し延々と聴いた彼女の声。
今にも消えてしまうんじゃないかという不安の中で、その声を聴くことだけがわたしを安心させた。それは必死に彼女を繋ぎ止めようとするもがきのようでもあったし、聴くことで自分の行く道はここしかないと何度も何度でも確認する作業のようでもあった。
あの時、あなたとわたしを繋ぎ止めてくれたのはわたしの手元にあるこの小さなイヤホンだけだった。
時が経って、当時みたいに突き動かされるような気持ちでイヤホンを耳にはめることはなくなったけれど、それでもやはりどんな時も必ずそばにあるのがこのイヤホンだった。新しい曲を知るその一瞬だけに許された特別な喜びも、新しい声と出会う恋に似たときめきも、教えてくれたのがこのイヤホンだった。
そのイヤホンは壊れて、たぶんもう動かない。
前触れもなく壊れたのは、3年5か月ぶりのソウルコンへ行く直前だった。大切な人の声を聴くために買った。会えなかったいくつもの季節をともにした。そしてまた春が来て、その歌声を再び聴ける日が迫る中、イヤホンは何も言わずに時を止めた。
役目を終えたということなのだろうか。
あの頃、アイリンさんの手を懸命に掴もうとしていたわたしを支えてくれてありがとうね。