ザッピング

チャンネルはころころ変わる

無題

 

 学生時代から社会人の初めまで、おおよそ10年間、ロシアという国と関わりました。長期留学こそ諦めましたが、2回ほど短期滞在し、ロシア人の家にホームステイしました。更新前のパスポートには、ロシアへのビザが1枚のみならず貼られています。ロシア人と一緒に仕事をし、ロシア人の友だちがいます。大きく括られた「ロシア人」としてではなく、わたしの中には個々の名前で認識している彼ら、彼女らがいます。

 ロシアと関わる道を選んだ最初の頃こそ自分の意志でしたが、ロシア語の難解さに幾度も挫折し、後半はほぼ意地だけで進んでいました。いろいろあって今は違う仕事をしています。良い思い出と同じくらい、むしろそれより多いかもしれない、苦い思いがあります。わたしはロシアに本当の意味で興味があるわけではなかったと、言語に苦しむ自分と、そこを乗り越えていくロシア関係の皆さんを比べた、そんなつらかった思いで塗られていました。

 それでも今、気が滅入るような思いです。あの美しい国と、そこに住む人々を、こちら側の築き上げた価値観で「悪」だと断定しないでほしい。言うまでもなく、戦争に反対します。突如として日常を奪われた方々に連帯を示したいです。だけど、スポーツの世界からロシア人が締め出されたり、ロシア人お断りを表明する第三国の飲食店の情報を見たりすると、気持ちが暗澹とします。

 2017年にステイした先のホストマザーが、クリミアについて話していたのを思い出します。当時、あの出来事を非難するわけではなく、堂々と語っていた彼女が今何を思うのか、わたしは知りません。今回の侵攻を始めた人物を決して擁護しません。ただ、あまりにも欧米の影響を強く受けている、日本に生きるわたしとは異なる価値観で過ごしている人たちがいることを、あの時実感しました。

 個人的につらい思い出が薄れ、パンデミックが落ち着いた先、また訪れたいと思っていたあの国は、おそらくこの戦争で何かが変わるでしょう。そしてそれは良い変化ではないと思います。日本人が過去の戦争でしてきたことを今背負っているように、彼らは決して背負わなくていいものを、今、この瞬間、背負おうとしているのだという意見を見て胸を突かれるようでした。ロシアという国がどう変わっていくのか、この先に何があるのか、とても怖いですが、この恐怖を超えるために、純粋に、もう一度ロシア語を勉強してみようかと考えています。

 

 好きかどうかは分からないし、国という概念に対して「好き」とか言うのもおかしいのかもしれません。ただ、今回の原因が明確に存在していても、少なからず知っていて、思い入れのあるロシアという国が「悪」として一括りにされるのがとてもつらく、そういった報道に違和感を覚えます。それから自分の価値観がどこに位置するのかを考えずに、情報を収集する前から一方を断罪する人々にも。

 

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