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チャンネルはころころ変わる

差別のある世界においてKpopファンであるということ:一オタクの話(6/8追記あり)

 


13TH | FULL FEATURE | Netflix

アメリカにおける人種差別の構造についての番組を見た。ネットフリックスがYouTube上で無料公開してくれている。「(黒人による)麻薬乱用」「(黒人による)白人のレイプ被害」そういったことを大義名分にして、社会として黒人を(そしてまた白人以外の人種を)差別する構造を作り上げてきた。刑務所を運営する企業をはじめとして、銃関連の企業や刑務所に食事を差し入れる会社、そういった民間の思惑が入り組んでいること。民間と政府が手を組んで自分たちに有利な法を作っていること。知らなかった。少しショッキングな映像もあるので中途半端に勧めることはできないけれど、勉強したい人は観た方がいいとは思う。日本語字幕あるので。

matome.naver.jp

 

ここ数日はずっとツイッターとにらめっこしながらいろいろ考えて過ごしていた。この動画もツイッターで知った。海の向こうの遠いところ、行ったことのない国の知らなかった苦しみが毎日毎日リアルタイムで手の中に流れ込んでくる。すごい時代だ、と思う。中学生、高校生として今を生きる子たちはこれが日常なんだ、こうやって世界を知ることができるんだと思うと羨ましくなって、同時にこういうことに目を向けないまま過ごしてきた私の20代ってなんなんだろうとブワッと後悔が襲ってくる。高校生の時にこういうことを知りたかった。大学生の時にちゃんと本を読んでおけばよかった。そしてふと思い出した、高校生の時特別授業かなんかで学年全体で演劇を観に行ったな。ああ確かあれはそう『アンクル・トムの小屋』だった気がする、なんて。ああ寝落ちしたのかなんなのか全く記憶がないや、なんて。そうやって大人たちは私が興味を持つように、社会に存在する事実に気づけるように、いろんなところにヒントを散りばめてくれていたのに目を向けようとしなかったのは私の方だったのかもしれない。

 

 

Kpopを好きになってこの春で5年が経った。Kpopを聴くということ、隣国のアイドルを好きになるということ。それは私にとって否応なく自分の中にある差別心と向き合わされることでもあった。「親日」や「反日」といったニュースでしか聞くことのなかった言葉たちが突然ものすごい実感を帯びた。彼らが身につけるもの、日本のコンサートでの態度、親/反でラベリングするファンたち、そういったものに踊らされた。アイドル本人が日本のファンに向けて言ってくれる言葉を、それだけを信じよう。それが真実だ。そうやって解決というか自分の中の不安と折り合いをつけようとしたこともあった。ここでいう不安とは、「あのアイドルは、私の好きなあの人は、本当は私の国が嫌いかもしれない」という恐怖のことだ。今こうやって書きながら考えると、それこそが差別心で、韓国で生まれ韓国で生きている人に対して「日本を好きでいてほしい」なんてよくそんなことを思えたものだ。自分の中でなんとなく流れが変わったのは、当時はそれが転換になるとは思ってなかったけれど、振り返ると某Tシャツ問題の時かと思う。あの時「日本人は原爆を落としたアメリカに対しては何も言わないのに、韓国人に対してだけ批判するのは韓国(と、ひいてはアジア諸国)を下に見ている、差別だ」という意見を見て、私の心は乱れた。だって、それに関しては日本だって被害者なのに!そう思った。でも違った。そうやって日本、というか日本=日本国民は被害者だ。戦争を起こしたのは当時の政府や軍部で我々一般人には関係ない。一般人は懸命に働いて日本を復興させた、世界第2位の経済大国にまでなった。向き合うべきだった時に向き合うべきものに向き合わないまま。バブルははじけたけど、日本はスゴイという空気のまだうっすらと残る90年代初頭に生まれ、経済的に余裕のある家で育った私は、普通に生きていただけのはずなのに、いつのまにかこんなにも差別心を持っていたのだった。今だってまだ全然逃れられていなくて、衰退する日本と、成長していく韓国や東南アジアを目にするにつけ羨望と悔しさ、焦りが渦巻くのだ。

 

普通に生きていただけのはずなのに、というのは「教育が悪い」ということを言いたいのではなく、普通に私は学校を出て私の人生を生きていただけなのに、ということ。現代史や差別そのものを学ぶという点において、日本の教育システムが正しいとは全く思わないけれど、それは専門家に任せるとして私はあくまで自分を省みたくて書いてる。でも書きながら気づいていくのがつらくてクラクラと眩暈がするようだ。アップするのもとても怖い。

 

 

知りたいのは、事実だと思った。だから歴史認識についての本や、ツイッターで見かけた韓国についての本を読んだりした。

歴史認識の方は、結論については筆者に対して様々な反論があるのは確かのようだけども、単純に事実を知るという点においては読んでよかったと思った。特に慰安婦問題について日本が様々な事業を展開していたということは、少なくとも私の心をちょっと穏やかにさせた。もちろんそれで十分というわけではない。まだまだ読まなければならない本がたくさんあって、いろいろな意見を取り入れる必要があることも分かっている。自分がやったわけでもないのに、いつまで言われなきゃいけないの?そういう気持ちがあることをここで否定したりしない。

 

正しい人になりたかった。不正義に対して声を上げられる人に、人の痛みを自分の痛みとして寄り添える人になりたいのだった。だから、アイドルへの向き合い方、特に日本人が韓国アイドルと向き合う態度について指摘するツイートを見かけると、自分に直接言われたわけでなくとも思考がぐちゃぐちゃになってしまう。この間は「日本の自称韓国好きは侵略と加害の歴史を修正することによって成り立っており、文化の消費と加害の歴史が完全に切断され宗主国根性はそのまま残っている。モノ化して消費しているという点において一貫している」という旨のツイート(要約しました)を見かけた。こういうの見ると本当死にたくなっちゃう。自分が彼ら、彼女らを消費している(かもしれない)ことにも、それを指摘されたことにも、いろいろウワーってなってぐるぐるしてしんどいから死にたいって思う。

私は韓国のアイドルを消費しているのでしょうか。私は「自称韓国好き」なんでしょうか。何も考えていない人より、少しでも向き合おうと勉強している私の方が「消費」していないなどとどうして言えるでしょうか。そもそもアイドルについて考える時、他国だろうと自国だろうとファンはアイドルという名のもとに生身の人間を消費しているのではないか、といった問いはあるけれど、それはここでは置いておくとして。こうやって考え始めると、日本でだけ日本語ver.の楽曲を要求したり(ファンがという意味ではない)、日本語を話すことを求めたりすることは、その歴史を振り返った時あまりにグロテスクなことなのではないか、という考えに行き着いて、あっ日本人としてKpop推すのしんどいな~~~~~~~~~~~~~~~~~~しんどくないですか?というかこの行為は正しいんですか?私はKpopを好きでいていいんですか?

 

こういうことを考えていたところに起こったBLMだったから、日本人の友だちがAll lives matterとストーリーに載せていたり、アジア人差別は?コロナでひどかったよねと日本人がツイートしていたりしていたのを見かけるとどうしてもきっっっっっっっしょ…と思わずにはいられなかった。すごい、なんか、自分の中にも差別感情があるんじゃないかと振り返ることなくそういうこと簡単に言えちゃうんだ…って思って。いや分かんない、私みたいなダメな人間と違ってもう全く差別感情なんてない完全無欠の完璧超人なのかもしれない。知らんけど。

 

大学のクラスに「ゲイであるという噂の」男の子がいた。友だちたちがその噂をネタに話していた時のあの空気を今も覚えている。私にはすでに自分がゲイであることをカミングアウトしてくれた男友達もいたし、特に前置きのないまま彼女の話をしてくる女の子の後輩もいた。

 

www.bbc.com

 

自分が間違っていないか常に怖い。差別しないってどういうことなんだろう。「黒人は勉強して偉くなって出世すればいいのに」と言いのけるツイートを見て、違うでしょと思った。勉強ができなくてもできてもお金がなくてもあっても名誉ある地位についていなくてもついていても家庭がなくてもあっても女でも男でもそのどちらでもなくてもあっても人間は人間として尊重されるべきなんだという話をしてるんですよと思った。それが私なりに考える差別しないということ…?でもこれだと内心何を思っていても、尊重さえしているように見えればということになりそう。そんなことが出来ればの話だけど。ああ分からないな、難しいな。でも難しい問題だって考えるフリをしたまま思考停止はしたくない。

イッテQを見ながら笑う自分も、しんちゃんを見ながら笑う自分も、本当は怖い。ペディキュアをして嬉しそうなイモトが大島さんに怒られるお約束の展開、本当は「なんで?」って思ってる。海外で出会った人にちょっと、そう「オカマっぽい」というナレーションが当てられてそれが笑いに変えられている時、本当は「これ大丈夫?」って思ってる。でも私はイッテQが大好きで、イッテQに救われてきたことがたくさんあるから、イッテQだけを見て簡単に「日本のテレビは終わってる」なんて言いたくない。ただ知りたいのは、どうしたら今までの笑いを打ち壊して正しい笑いを生み出せるのかということ。誰も傷つけない笑いはどこにあるのかということ。書きながら、日本のテレビが変わっていく未来があまりにも思い描けなくて絶望している自分もいる。

 

 

 
 
 
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ミュージカル『ヘアスプレー』のことも昨日知った。作者マーク・シェイマン(ウィキによると作曲家らしい)が上記のポストでコメントしている。

(抜粋)In the past, while always IMPLORING theaters and schools to - if necessary - look outside of their own community to properly cast the show, we eventually allowed groups to cast the show as best they could as long as the WORDS and the STORY were unaltered. Since a major part of HAIRSPRAY is about fighting against the idea that someone could not be on a show because of their race, it seemed wrong that HAIRSPRAY would deny someone the chance to be in a show…BECAUSE OF THEIR RACE!
While it always seemed like common sense to us that people would choose to put on HAIRSPRAY with the knowledge that they could perform the show as written, we were naive. But, to state what I would hope to be the obvious, we never ENCOURAGED an all-white production.
But this situation has ALWAYS troubled us (it has certainly gnawed at me for years) and so, we are grateful to say that Music Theatre International (which represents and licenses Hairspray) WILL be requiring groups to cast the show so as to accurately reflect the characters as we wrote them. A show that specifically addresses one aspect of the black experience during the civil rights battles of the early 1960s deserves to have its characters accurately and appropriately portrayed on stage.

 

(拙訳)以前は、劇場や学校に対して(必要に応じて)自身のコミュニティの外を見て正しくキャスティングするよう常に要請しながら、言葉とストーリーに変更がない限り私たちは結局は彼らに彼らが出来うるベストのキャスティングをすることを認めてきた。人種によって人はショーに出られないという考えとの闘いがヘアスプレーの主要部分であるため、人がショーに出るチャンスをヘアスプレーが拒否することは間違っているように見えた…人種のせいで拒否することを!

書かれた通りに演じることが出来るならその人をヘアスプレーにキャスティングするということは私たちにとって常識のように思えていたと同時に、私たちは単純だった。しかし、私が何を望んでいるかを明白にするために言うと、私がオールホワイトのプロダクションを奨励したことは一度もない。

でもこの状況はいつも私たちを悩ませてきた(何年にもわたり私を悩ませてきたのは間違いない)し、私たちが書いた通りのキャラクターを正しく反映するようなキャスティングを外部に対して(ヘアスプレーを代表しライセンスを持つ)Music Theatre Internationalが要求するであろうことを感謝を持って発表する。1960年代初期の公民権運動における黒人の経験の一面を具体的に取り上げたショーは、そのキャラクターを舞台上に正確かつ適切に写すに値する。

 

つまりヘアスプレーをアジア人が演じることはできないらしい…?その点はまだ確定ではないし、アジアでの公演についての公式の発信は確認できていないけれど、どうもそういうことらしい。

いろいろな意見を見た。誰でも何者かを演じて何かを伝えるというのが演劇の醍醐味なのに、という意見もあったし、いいんじゃない?という意見もあった。私自身は、ある役を特定の人種しか演じることができないようにしたらそれこそが分断なのでは…?とも思ったけど、でも(向こうのミュージカル・演劇界隈の内部事情はよく知らないが)きっとただでさえマジョリティの物語ばかりが溢れてその分機会も均等じゃないこの世界で、マイノリティの物語でさえも彼らの演じるチャンスが奪われるというのは間違ってるなとも思った。ていうか人種のせいで差別されて不当に機会を剥奪されるという物語を、その物語に表される現実の中で「差別する側」である白人が演じるって普通に…ビビる…というかえっキモくない………?無理無理なんでそんなこと許してきたの?って逆に聞きたいレベル。この発表に反応していた日本のファンたちは、黒人や白人が少ない日本でヘアスプレーが観られなくなることを心配しているようだったけど、黒人の方も白人の方も街を歩けば普通に見かけるけどな。もうそういう時代じゃないの?「純ジャパ」なんて言葉があるみたいだけど、じゃあ「日本人」って何?ん~でもそう考えるとやっぱり黒人の役を黒人が演じなくてもいいことになる…?はっきりとした黒か白かの答えなんて文字通りないのかもしれない。でも仮にマジョリティがマイノリティの機会を搾取するような構造が現地の業界に存在するんだとしたら、とりあえず一度シェイマン氏が言うようにやってみるべきなんじゃないかと思う。日本で観られる観られないとか、自分が観られる観られないっていうのは特に大事じゃない。(少なくとも私は)観たければ飛べばいいのだし。舞台版ハリー・ポッターのハーマイオニー役として黒人がキャスティングされたことにみんなが戸惑った時、J.K.ローリングが言った「ハーマイオニーを白人と明記したことは一度もない」と。なのにどうしてあの時私はがっかりしたんだろう。白人がよかった?なんで?私にとって黒人はあまりに「未知」だった。原宿とかにいる黒人をなんとなく怖いように思ったりする。どうしてこんなにもステレオタイプの偏見がいつの間にかきちんと自分の中で育っているんだろう。私は、普通に生きてきただけなのに。

(6/8追記)J.K.ローリング氏について。前回の炎上案件も把握してはいたけれど、まさかこの記事をアップした翌日にまた炎上するとは思わなかった。性自認について、私自身はその言葉の通り本人の選択というか決定が尊重されるべきだと思う…というかそこに他人の口を挟む余地がある?と思うのだけど。ただフェミニズムを勉強し始めたことで、フェミニストも一枚岩ではなくて、こうしていろいろな意見が対立し合ってる状態であることを最近ようやく理解しつつあるところではある。彼女がフェミニストなのかは知らないけど。J.K.ローリングのトランスフォビックな部分には賛同しないけれど、それを理由に一度書いた上記の言及部分を削除することは違うなと思ったからこうして追記という形を取ることにする。矛盾を抱えるのが人間だと思うし、それこそがこの記事のテーマだから。彼女がいつか間違いを知るのか、それとも永遠に気づかないのかは分からない。ただ、J.K.ローリングとハリー・ポッターは人格の異なる別の人間なんだよね。私はハリーが好きだよ。

ダニエル・ラドクリフ、『ハリポタ』著者の「大炎上発言」をファンに謝罪【全訳】 - フロントロウ -海外セレブ情報を発信

 

 

差別というものは、歴史の教科書の上で終わりとされたからといって、もうなくなったんだ終わりなんだと過去のものにしていいものではなかった。自分はこんなに向き合ってるんですよと誇示したいわけでもない。勉強してるんですよとアピールしたいわけでもない。ただちょっとしんどいなと思ったので、整理するために書いた。自分がこの国の特権階級であり圧倒的多数派であること、日本という国で日本語ネイティブの日本人として生きること、それを常に意識していたいと思っている。同時に勉強し続けたいとも思っている。でも分からないのは、その先に何があるの?ということ。勉強した未来に何があるの?私が差別をなくせるの?そう考え出すとすごく悲しくて怖くなる。勉強して、知って、知識を得て、いい気になってるだけなんじゃないかって。変えたいと思っているのに何をしたらいいか分からないのだ。みんな、考えること知ることが大事なんだよ、Educate yourselfなんて簡単にインスタに書いておしまい。その後のことは誰も教えてくれない。私が本当に本当に知りたいのは、警察に押さえつけられてるクルド人を見たらどうしたらいいのかということ。電車でアジア人観光客に絡んでるおじさんがいたらどうしたらいいのかということ。

 

 

迷いなくその間に立てる人間になりたいのに、その勇気が出ないかもしれないと恐れる自分をどうしたらいいのかということ。

 

 

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