私がすごく慰めになった文章
夜明けがとても青くて長い
手紙:
何も分からなかった小学4年生、11歳の時好きな歌手ができました。その時から大変な時も、寂しい時も、嬉しくて幸せな時もその歌手を見ながらたくさんの力を得ました。私が彼の慰めをもらいながら生きてきたと言っても過言ではないほどです。でも、何日か前にその歌手が世を去りました。記事を知って友達たちが連絡をくれてから二日間ずっと泣いていました。夜明けに弟(※妹)へこれまで心の中へ仕舞っておいた、誰にも言えないでいた私の話を打ち明けました。自責もして、その人を好きだった思い出も追いながら私の物語を解きほぐしていると、私は大丈夫になりました。だけどふと彼がこの世界にいないということが信じられません。彼を思って、あ、もういない、そうだったとまたぼうっとして。誰かを好きで応援するということは、とても素敵で素晴らしいことだと考えてきたけれど、最近はこの考えが本当に正しいのか?しきりに悩みます。その人へ向けた数え切れないほどの誹謗中傷より、私がより多くの愛をあげれば良いのだと思っていました。でも今私はひどく混乱しています。好きだと、愛してると、応援しているという言葉たちが彼にとって更に負担となるようで。今は他に好きな歌手を見ることも少し大変です。もっとしっかりと生きなくては、そう思うのだけど私がこれからどんな気持ちで生きていくべきなのか分かりません。
処方詩
青い夜
パク・ソラン
濃い青のコートの裾をはためかせながら
黙々と行く夜を
今は分かる 時間のうねった背中をぼんやりと見るほど
理解のできないこと、そんなことが
一つ二つ消えること
些細にも消えたこととして、永遠のボタンをはめないこと
また理解できる
取り返しのつかないこと
誰かの心ではなく
取り返しのつかないことなどそもそも存在しないということは事実
少し胸を叩いてみる
誰も住んでいない見知らぬ惑星にノックをするように
黒い空に隙間なく後悔が輝いているとき、その時が
美しいのだと、
空に手をのばしてかすめた星座を振り返ってみるとき
お互いの深く傷ついた表情を撫でながら私たちは
疲れて古びていくこともできた
この全てを知っても夜は行く
そうして行っても
朝はなぜとうとう知らせがなかったのか
今は分かる
十分に理解する
処方箋
4分37秒の間私たちはじっと
キム・ヒョン(詩人)
人々はしばしば別れてみるのも良い経験だと言います。しかし誰かと別れることが、愛する人との別れが経験になります、なんてとてもおかしいです。世界には経験というものがとても多いのに、そんなことまで経験しながら生きなければいけないのでしょうか。ある日にはゆっくりと考えてみるつもりです。手足の長い人と白くて太った毛深く幼い獣と燃やした手紙と日記帳。それから夜中に思いつくと階段を昇り、廊下を過ぎて窓を越え、終わりのない夜の青緑に光る野原へ出てさまよったら戻ってきて自分の顔をじっと見た私の沈黙を。別れが良い経験になったろうかと振り返ってみながら、夜をじっくりと明かしてもみます。その時、その明かした夜は無益だけれど美しいのです。別れも経験という助言は別れの瞬間の苦しみではなく、別れた後にやって来て、痛くも、悲しくも、死ぬようなことでもない心の時差を理解することについての言葉になるでしょう。
数日前、机の前に座って深夜ラジオ放送を聞いていると、今はこの世にいない人の歌を聴きました。本当にお疲れさま、という歌詞が出てくる歌だったのですが、彼の声を聴いていようとすると、誰かと比較するのではなくそのままその人を慰めてください、と言った彼の輝く心情が思い浮かびました。一時間、耳の後ろに鉛筆を挟んでじっとしていました。その時、歌がどれだけ長いのか、夜はどれだけ青いのか、彼は今ごろどれだけ暖かい布団に横たわっているのだろうか、ここに残った人が4分37秒の歌を聴くことがここに残らなかった人の4分37秒を代わりに生きてあげることになるのではないだろうか、図々しくもそう考えました。4分37秒の間私たちはゼリーを噛みながら、学校や職場であったことを喋りながら、歌を聴くことができるでしょう。その時そんな私たちの日常は、きっと彼の誇りになると思います。「残されたこと」はそのようなことを信じる経験です。私ときみがまだつながっているということです。
愛された人が少し早く選んだ死は、生きている方にとっては残念なことであるけれど、彼の方は本当にお疲れさまでした、理解されるほどのことでもないでしょうか?ある別れを理解するためには、ある瞬間ではなく一生が必要だったりもします。彼の方では永遠に残された人になって、青い夜に彼の歌を聴きながら少し胸をとんとんと叩いてみるつもりです。嬉しい気持ちで。沈黙を遠くへ追いやって。彼の魂がしばらく前髪を撫でながら、私の一日の終わりを慰めてくれるのを感じます。ある人たちが彼を忘れていく時も。4分37秒の間。ご存じですか?一人の人間が一人の人間に一目で惹かれるために必要な時間が8.2秒であると。4分37秒はどれだけ長い愛の時間でしょうか。
イェリ:私もこの文章をずっと前から保存していたんだけど、同じだね私たち
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8日0時をまわってから、Lysnにあげられたファンの文章とそれについたイェリのコメント。
この他にもイェリのことを気遣う文章がたくさん並んでいた。
「家にいてもし見えるなら月を見てみて!月はなぜかは分からないけどいつも私たちを慰めてくれる」という投稿には、「月には私が会いたい会えない人たちが集まって、いつも私と一緒で、私を見ていてくれると考えてきました。だから月が好きです」と返事していたイェリ。
じょんとイェリの写った写真にはいいねをして、じょんの言葉やじょんの写真が貼ってある投稿にはただ「会いたい」とコメントしていた。
これまでも、直接ジョンヒョンのことだとは言わなくてもイェリがじょんを想って何かを書いたり、じょんを意識した発言をしたりすることはあって、そういうことにわたしはたくさんたくさん力をもらってきた。一人じゃないということ、他でもないイェリが勇気を持って言葉にしてくれるということがどれだけ慰めになったか。
それでもLysnという場所ができて、こんなに直接的にじょんのことをイェリと話せるようになるなんて想像もしていなかった。ありがたくて、暖かくて、涙が出る。
きっとイェリにとっても慰めになっているんだと分かるから。
「おめでとう」という言葉が苦しくて、どうしても素直に口に出せなくて、そこに意味があるのかと考えて、わたしにとっては12月18日より向き合うことが難しい4月8日。
上の文章はなんとなく読んだことがあるような気もするけど、覚えていない。
投稿のタイトルが「私がとても慰めになった文章」ということは、このラビの方もじょんペンなのかな。
여기 남은 사람이 4분 37초의 노래를 듣는 일이 여기 남지 않은 사람의 4분 37초를 대신 살아주는 일이 되는 건 아닐까
ここに残った人が4分37秒の歌を聴くことがここに残らなかった人の4分37秒を代わりに生きてあげることになるのではないだろうか
あの歌はあまりにも悲しい記憶を帯びていて、正直少し敬遠してきたのだけど、この一文を訳しながら久しぶりにゆっくり聴いてみようかなと思った。
4分37秒を重ねて生きていくんだな。
4分37秒を重ねた先に、きっと待っていてくれる。
春のように暖かいひと、お誕生日おめでとう。
生まれてきてくれてありがとう。