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ミュージカル『フランケンシュタイン』が問うもの

 

今年一発目のミュージカル『フランケンシュタイン』

 

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日本初演だった3年前はなんとなくタイミングを逃しちゃって観ていなくて、でも音月桂ちゃんが出ているしとにかく人気な演目というイメージがあってずっと興味はあったところに再演の知らせが。その上去年ちょうど韓国までミュージカルを観に行くという経験をして、次は韓国で作られたという意味での「韓国ミュージカル」を観てみたいな~と考えていたから渡りに船でした。

 

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8日の中川×加藤回を観に行って、うんうん唸りながら帰ってきた。というのもなんというかこうグワッとした心を鷲掴みにされるような感動を味わうことがなくて、それよりいろいろと考えることが多くて混乱していた。気づいたらチケットを追加して、また29日の中川×加藤回に行ってきたんだけど、その結果思いがけず初日と前楽を観るという贅沢経験をしてしまった…

 

とにかくテンポが早い。こんなに展開の早いミュージカルは観たことないってくらい。ビクターとアンリ、一瞬のうちに親友同士になっちゃう。いやいやアンリさん、あんた5分前には「そのような倫理的に間違っている研究を手伝うことはできません」ってビクターに真っ向から反発していたやん。そして人がどんどん死ぬ。「死んだ人間を生き返らせる」研究をしているフランケンシュタインが主役だから、誰かが死なないと物語が動かないので当たり前かもしれないけど、それにしても死ぬ。

 

一回目は私、とにかく加藤アンリが好きで好きで、でもあの優しくビクターを見守る暖かい眼差しが印象的なアンリが好きだと気づいた時にはもう彼は死んでいた。二幕はアンリではなく「怪物」として出てくるし幕が下りる瞬間まで舞台上にいるから仕方ないんだけど、カテコもアンリではなく怪物の姿のままだから、一幕ラストで死んでいくアンリには二度と会えないんだと、それが個人的にものすごく衝撃で、死んだ人には二度と会えないなんてそんなこと知っていたのに、それを目の前で形にされたというか、とにかくすごくショックだった。

それでアンリにどうしても会いたい気持ちが大きくて、二回目のチケットを探した。

 

なのに今、熱烈にビクターに恋してる。どういうこと。

いや「ビクター」に恋をしているのか「中川晃教」に恋しているのかちょっと分からないんですけど…でもこの、単純に役が好きなのか中身である役者に落ちたのか分からなくて、その境目はどこまでも曖昧で、とにかく恋としか言いようがないくらいの熱に浮かされたこの感覚、もう一度会いたくてたまらなくなるこの感覚そのものが私は大好きなんだな。ミュージカルだけの力。だってこれって、恋の楽しいところだけ味わえるんだもん。身体に悪そうな甘い毒。

 

中川さんと加藤さんにとっては楽日となった29日のカテコでは、お二人とも「絶望の多い話ですが、この作品を観た皆さんに希望というものを届けられたら嬉しい」というようなことを言っていて、こんなに救いのない話のどこに「希望」なんぞ見つけられるんだろうと考え込んでしまいそうだった。でも考え込む隙もないくらい、どこかに希望を見出すとしたらビクターとアンリの友情しかなかった。

 

それにしてもアンリは自らビクターの身代わりとなって処刑されるわけで、それってもう友情というにはあまりにも大きすぎる愛というか慈愛というか。加藤アンリは断頭台に向かう間ずっと微笑んでいるんだよね…それがとても優しくてあたたかくて全てを受け入れた表情で泣けちゃう。ルンゲがエレンとジュリアに葬儀屋で何があったのか話す場面の、回想の中のアンリは「ルンゲ!ビクターを連れて逃げろ!」って言うその瞬間から既にちょっと笑ってるんだよ…全てを受け入れるのがあまりに早すぎる。アンリは、ビクターに命を救われたあの日からずっといつでも準備はできていたみたい。

 

アンリは…ビクターはそんなことを望んでいないのに…いつもビクターを一人にして先にいってしまうんだなあ。「君の夢の中で生きられればそれでいいんだ」なんて。アンリと出会った時のビクターは本当に嬉しそうだった。自分の過去を知らない人、自分のことを気味悪く思わない人、対等に話のできる人。

でも本当は、ビクターにはルンゲもジュリアもエレンも、そしてアンリもいるんだよね。ビクターは弱くて、過去につきまとわれるフリをしながら過去を手放さないのはビクター自身で、ジュリアもエレンも遠ざけて孤独だと思い込んでいるけれど、たぶん本当に孤独だったのはアンリなんだ。だからアンリは、ビクターは自分がいなくなっても大丈夫って分かっていたんだと思う。アンリの孤独は「僕には親がいないんだ」というセリフからしか伺いしれないけど、ビクターと一緒にジュネーヴへ行ったアンリの心情を思うと、嫉妬とまではいかなくともビクターを羨ましく思う気持ちも少しどこかにあったんじゃないか。それがアンリの中の「怪物」なのだとしたら、アンリと怪物が一人二役という意味はそこにあるのでは。

 

怪物(アンリ)はビクターに本当の意味での孤独になってほしかった。怪物ってビクターのことすごく憎んでいるけど、同時にビクターにすごく求められたいって思っているんじゃないかなっていつも感じる。「北極で待っている」なんてわざわざ宣言したりして。実際ビクターは怪物を追ってどこまででも行く。

 

怪物はアンリの意思を持っているのか?という問いについて。私は断然アンリだと思う。アンリであってほしいという思いがあると言った方が正しいのかもしれないけど。もちろん生まれてすぐからアンリの記憶があったとは思わないし、「俺にその男の記憶はない」というセリフの通り記憶という意味でのアンリはいないのかもしれないけど、言葉が出てくるに従ってアンリとしての感覚がどんどん目覚めていく。そう見えるんだけど、実際パンフに掲載されている加藤さんのページ読んだらそんなことが書かれていて嬉しくなっちゃった。

 

だから「北極で待っている」と言ったのはアンリだし、怪物ではなくアンリとして死んでいくんだと思うんです。そうすると結局ビクターがアンリを殺すことになるので、バッドエンドもバッドエンドってことになるけど。でもお互いの始末をつけられるのはお互いしかいないというか、生まれてはいけなかった結果としてのアンリだけがビクターを罰することができるのだし、生み出してはいけなかった結果としての怪物をまた死なすことができるのもビクターだけなんじゃないかな。

なんか一回目に観た時は死んでいく怪物を掻き抱きながらビクターが号泣していて、二回目は「俺はフランケンシュタイン!」と歌い上げながらすごく強い光を放つ目をしていたんだけど、この違いだけで全く最後の意味が変わるの何なの…?一回目はそのままビクターは一人で生きていくか死んでいくかだろうし、二回目はもう一回蘇らせてしまうかもしれない…怖い……

アンリ……(泣) 

 

ああそれにしてもこの結果を知っているからあの酒場のシーンが際立つというか、あそこのビクターとアンリはあまりに楽しそうで幸せそうで、対等な友情がとても美しくて尊くて、これが永遠であったらいいのに。あそこで終わりでいいです…

あとジュリアと結婚した時のビクターの満ち足りた表情も大好き。本当幸せになってほしいのに。

 

そういえば29日の酒場の場面の「ルンゲ、お前は本当にいいやつだ」のところ、ビクターがルンゲにマジで5秒くらいキスしててルンゲそのあとずっと放心してたwwあれめちゃくちゃ面白かったwww目が点になってたルンゲwwルンゲだけどそうまさんだったwwよかったねwww

 

一回目観てから理解を深めたくていろいろ観劇レポやブログを漁って、特に一幕と二幕を一人二役で演じる意味について腑に落ちる説明をしていたレポートがあったはずなんだけど見つけられない…それぞれの違いについて簡潔にまとめてくださっているレポを貼っておく。

一幕に登場するそれぞれの人物の中の「怪物」が二幕なのかな。

柿澤さんのジャックはすごく残酷と聞くので怖くて見に行けないんだけども…中川さんのジャックはあまり残酷なことはしないイメージ。もちろん殴ったり蹴ったりはするけど、見下しているというよりはなんというかどこか自分の中に溜まった憂さを怪物を使って晴らしているような、本当は怪物のことをどこかで怖がっていて、それを隠すために強く当たっているようなそんな弱さがあるように見える。ビクターも自分のこと気にして愛してくれる人たちを遠ざけてしまう弱さがあるけど、なんかそれってすごく中川さんのピュアなところが出てるじゃないですか????????(オタクの人格)それでもう好き…ってなっちゃうんだよな~~~~~~~~~~

ぴゅあぴゅあ中川さん――いやほんと割と年離れているのにそんな言い方して申し訳ないんですが、中川さんを知れば知るほど少年みたいな純粋さが好きだとしか思えないのでご容赦ください――いつもカテコでいいことしか言わないの!初日の時は「キャスト、演出の方々、関わる全ての人がいないとミュージカルはできない。ミュージカルはミュージカルだけで味わえる感動があります」って話してらして、もう心からうんうんってなっちゃった…もっと素敵な言い回しでもっと感動すること話してたと思うからカテコ映像ください。中川さんがミュージカル好きなことビシビシ伝わってきて感動しちゃう。演者がミュージカル愛してるって最高ですよ。素晴らしい世界。

でもそのあとの中川さん、「この感動をどう伝えればいいんでしょうか?!劇中の言葉を使って和樹さんに説明してもらいたいと思います!!!」って急に無茶振り始めて、加藤さん本気で「は?」って顔してたwwwなのに中川さんが「皆様準備はいいですか?!」ってどんどん進めるから、加藤さん「いやいやちょっと待って」みたいな感じで中川さんの肩掴んでたwww結果加藤さん「クマ…オイシイ……」

前楽の中川さんも「この令和二年というおめでたい雰囲気の中!」って話し始めて、客席も舞台上のキャストもみんな「おめでたいっけ…?」って笑ってたからな。なんなの天然なの?好きです!!!!!!映像ください。

これ本当に素敵な写真

 

初日は韓国のスタッフぶんどぅるいらしてた。そういうの嬉しくなっちゃうよね。

また中川さんの話するんですけど、パンフのインタビューで「劇中での怪物の描かれ方から、僕はこの3年で大きく変わってしまった日韓関係を連想していたりもしていて」と言ってらして、その感覚すごく分かるな…と。一方的に見下して人間として扱われない怪物の描かれ方もそうだし、特に個人的にここ最近のテーマである「集団心理」「集団の狂気」があちこちに出てくるからつらい。エレンのこと、殺人者だと決めつけて話も聞かずに処刑する群衆たち、自分が正義だと信じて疑わずに人一人を死まで追い詰める群衆たち、吐き気がするよ。

 

もう使い物にならなくなった怪物を打ち棄てて、エヴァとジャックが「また探せばいいよ、怪物はたくさんいるんだからさ…」って笑いながら観客の方をじっくり指していくところ、ゾッとする。

そういう「誰の中にもいる“怪物”」的なことがテーマなのかなって思うけど、個人的にはやっぱり「アンリ」には二度と会えないことが大きなショックだったから、生と死、どう生きてどう死ぬのか、みたいなことを考えてしまう。当たり前だけど、死んだ人には二度と会えなくて、死んだら二度と生きることはできないけど、その当たり前を覆そうとした「(ビクター)フランケンシュタイン」なんだよね。「怪物」ではなくて、『フランケンシュタイン』が主役なのって大きな意味があると思うんだけど、上手く整理がつかなくて言葉にできない。

 

考えると怖いので考えないようにしているのだけど、アンリはビクターはまさか自分の首を使うことはしないだろうなんて思っていたはずがないんだよね…少しでもよぎるものはあったはず…ビクターに蘇らせてもらおうと信じられたから死んでいけたのか…まさか?そう思うと「君の夢の中で生きたい」も全然意味が違ってくるので怖くて考えるのをやめる。

でもエレンに「あなたまさかアンリが死ねば首を使えると思っているんじゃ」と言われて「そんはなずないだろ!」と間髪入れずに返したビクターは真実だったと思う。それなのにやっぱりアンリの首を使って怪物を生み出す。アンリの首を実験室に持ち帰って来た時のビクターってすごく泣いていてつらそうで、もう一度アンリに会いたい、会うんだ、ともに生きるんだっていう悲しみがひしひしと伝わってくる。母親の死が受け入れられなくて生命創造を夢見るようになったビクター、アンリを自分のせいで死なせてしまって実際に踏み切ったビクター、失敗が分かっているのにまたエレンを生き返らせようとするビクター、ビクターは感受性が鋭くて、悲しいくらいに優しくて、人よりも少し愛が強いだけよ…

 

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そういえばけいちゃんは本当にすごかったです!!!ジュリアの可憐さ、一途にビクターを想い続けるところも好きだけど、カトリーヌの力強さがすごくて…けいちゃんってこんなに歌が上手かったんだって思った。声がガラッと変わるところがすごすぎる。。音源欲しい。

 

書いているうちにあああの場面も、あああの曲も、って書きたいことどんどん思い出してキリがないなこれ。まだまだある。暗くて重いし、正直言って「希望」がどこにあるのかいまいち分からないし、考え込んでしまうし、手放しで好きって言える作品ではないけど、好きとは別の意味で「ハマる」というか。一回目は「みんなこれの何が好きなんだ」って思いながら帰ってきたけど、二回観たらフランケンの森の中に深く入り込んでしまった。

どうしてもどうしても中川ビクターと加藤アンリに会いたいので来月名古屋行きます。また思ったことあったら追加するかも。

 

 


『フランケンシュタイン』2020PV【舞台映像Ver.】