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K-POPヲタクのフェミニズム:『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んで

 

『82年生まれ、キム・ジヨン(原題:82년생 김지영)』という本をご存知だろうか。2016年に韓国で発売され、100万部を売り上げたベストセラーである。タイトルの通り1982年に生まれた主人公が、韓国社会を生きていく上で出会う女性としての困難が小説形式で描かれた書籍だ。先日発売されたばかりの邦訳版は、筑摩書房の公式ツイートによると刊行4日で3刷重版が決定したらしい。

 

異例のスピード増刷は、おそらくこの本の邦訳版を心待ちにしていた日本の読者が多いためではと思う。事前にこの本の存在を知っていた経緯は人それぞれだと思うが、私にとってはファンであるK-POPガールズグループRed Velvetのメンバー、アイリンがこの本を読み、そして読んだことを発言しただけで韓国においてひどいバッシングに晒されたことに他ならない。

 

今年3月、とあるファンミーティングの場でアイリンは最近読んだ本を尋ねられ、『82年生まれ、キム・ジヨン』を挙げた。ネチズンたちはこれをアイリンの「フェミニスト宣言」であると捉え、アイリンを非難、もともとアイリンファンであった男性たちでさえも彼女の写真を燃やしたり切ったりした画像をネットにアップし始めた。以下はそれを伝える当時の記事である。

www.huffingtonpost.kr

 

Red Velvetは男性ファンに対して女性の割合が多いと言われる、いわゆる「ガールクラッシュ」グループである。実際に足を運んだ日本のコンサート現場でも、ほぼ9割は女性だと思われた。そのため、アイリンを非難し始めた男性たちに対してすぐにRed Velvetの女性ファンたちによる抗議が始まった。まず本国である韓国のファンたちがツイッターにて状況を説明すると瞬く間に拡散され、私もすぐに知るところとなった。アイリンの首の部分で故意に切られた写真の画像を見た時のショックは、忘れないだろう。強いつよい悪意が手にとるように感じられたからだ。怒りと、アイリン本人がこれを見たらという不安に震えたのをよく覚えている。

 

彼女は、この本を読んだと言った「だけ」だった。よくあるファンとの時間に、次から次へと聞かれる質問の一つに答えただけであり、この本に対する自分の見解も何も述べていなかった。ただそれだけで男性たちは怒り、自分に対する裏切りだとし、写真を燃やした。調べるとどうも女性の生き様について書いた「小説」にすぎないように見えるが、いったいこの本には何が書かれているのか?何が彼らをそこまで怒らせるのか?すぐにでも読みたかったが、あいにく本一冊を読み切るような韓国語の能力を持ち合わせていなかった。

 

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原著とはまた異なり、爽やかなブルーを基調とした邦訳版が届いてすぐに読み始めた。とても読みやすく、2~3時間で読み終えることができる。(以下ネタバレを含むのでこれから読もうと考えている方には回れ右をしてもらいたい)

 

印象的だったのは表現の美しさである。たとえば主人公キム・ジヨンの夫であるデヒョン氏が妻とのこれまでの時間を表現する一節「…雨の日に落ちてくる雫の数ほど語り合い、雪の日に舞う雪片の数ほど愛し合い…(11ページ)」韓国語の原文ではどんなふうに書かれているのだろう。韓国文学を読むのはこれが初めてであったが、他のも読んでみたいと思った。

 

キム・ジヨンは、1982年ソウルに生まれ、父母と父方の祖母、それから姉と弟という6人家族で育った。それから大学まで行き、就職、結婚、退職、子育て…といった「普通の」女性が「普通に」生きようとするだけで出会う様々な困難が書かれている。たとえば予備校時代には自分に気があると勘違いした男からストーカーまがいのような被害に遭っているし、就職面接ではセクハラと思われるような質問までされた挙句、卒業間近まで決まらなかった。このようなことは、韓国と日本で変わらないのだと思った。この本に書かれていることは、日本に住む「普通の」女性たちのきっと誰しもが経験していることなのだと思う。

 

そのような困難の中でも私の心をもっとも強烈に揺さぶったのは、キム・ジヨンの「妹」が「妹」というだけで中絶される場面である。息子を生まなくてはならないという価値観に縛られていた当時、韓国では女児の堕胎が堂々と行われていたようだ。

 

そのころ政府は「家族計画」という名称で産児制限政策を展開していた。医学的な理由での妊娠中絶手術が合法化されてすでに十年が経過しており、女だということが医学的な理由ででもあるかのように、性の鑑別と女児の堕胎が大っぴらに行われていた。一九八〇年代はずっとそんな雰囲気が続き、九〇年代のはじめには性比のアンバランスが頂点に達し、三番め以降の子どもの出生性比は男児が女児の二倍以上だった。母は一人で病院に行き、キム・ジヨン氏の妹を「消し」た。

 

(24ページ)

 

(実際の文には、著者のチョ・ナムジュ氏により統計データをもとにした原注が付け加えられている)

 

女児だというだけで堕胎が行われ、90年代初頭には男女比の格差が深刻であったという事実が私にショックを与えたのには2つの理由がある。

 

まずアイリンがまさに91年生まれであること。この本のタイトル風に言うと「91年生まれ、ペ・ジュヒョン(アイリンの本名)」なのである。アイリンが騒動に巻き込まれた当時、こんなツイートがあった。どうやら消してしまったようで元ツイートが見つからないが、実は当時からこのことに関してブログを書こうと思い保存しておいたのでスクショ画像を貼っておく。

f:id:iamyu:20181214052430j:plain

 

アイリンの故郷である大邱が女児の中絶最多地域であったという事実は、このツイートしかあたっていないので信憑性としては低い(※)。小説の主人公であるキム・ジヨンと、実際に生きているアイリンの家庭環境では違いもあるだろう。だが、90年代初頭に女児の中絶が行われていたのは事実であり、一歩間違えればアイリン、すなわちペ・ジュヒョンは誕生しておらず、私はこの本の存在も知らなかったかもしれない。

※この件について調べてコメントを下さった方がいらっしゃいました。そちらによると、91年に大邱が女児の中絶最多地域であったという事実は間違いないようです。当記事下部のコメント欄をご参照ください。キサさん、本当にありがとうございました!

 

そして2つ目の理由は、私もアイリンと同じ91年生まれであるということだ。私は日本に生まれ、何不自由ない家庭で、何の苦労もなく育った。しかし隣国では、同年代の女の子が女児だというだけで命すら危うく、無事に生まれたとしても男子の陰で必死に家庭を支えていたのである。家族からでさえ時に不当な扱いを受けただろう。キム・ジヨンがそうであったように。

 

 

この本には、自分の非を認めて謝ってくれた小学校の担任や、就活を懸命に支えてくれた学生時代の彼氏など、素直に「素敵だな」と思えるような男性も出てくる。また、キム・ジヨンにとって結婚相手となったチョン・デヒョン氏も、まあもしかしたら少し妻の気持ちに鈍感かもしれないが、一般的な男性に想定されるレベルのものでありひどい人間ではない。そしてまた、キム・ジヨンが出会ってきた直接的および間接的な女性差別の全てが男性の存在に起因すると書かれているわけではない。むしろ、弟の粉ミルクを舐めるのが好きだった幼いキム・ジヨンを叩いた実の祖母のように、女性自身もそのような価値観に染まっていたし、ひいては社会全体がそのような価値観で動いていたのだろうと分かる。

 

この本は確かに「フェミニズム本」かもしれない。訳者の斎藤真理子さんによるあとがきによれば、著者は「『フェミニズム作家』と呼ばれることを自然に受け止めており、今後もそのような視点を持って作家活動をしていくことを明らかにしている(188ページ)」ようだ。同時に斎藤さんがおっしゃるように「一冊まるごと問題提起の書(186ページ)」であり、この本を読んだ女性は自然と女性のあり方について考えるだろう。

 

 

伊東順子さんによる解説では東京医科大学の件について触れられていた。実は私には、親戚に東京医科大学出身の医師がいる。だいぶ年の離れた遠縁の叔父であるが、幼い頃から私をかわいがってくれた。私自身はその道に進むことはなかったが、それもあって私にとって医者というのは身近な職業であったし、東京医科大学はもしかしたら初めて認識した「大学」という場所だったかもしれない。そのためあの問題が最初に報道された時、瞬時に思ったのは不当な扱いを受けた女性たちではなく、叔父のことであった。自分の出身校が不正をしていたら?自分も男として知らず知らずその不正の上に生きていたのであったとしたら?そんな思いでいっぱいになり、女性たちだけでなくそこに関係する男性たちも被害者だと感じた。

 

しかし報道後初めて叔父に会った時、彼は言ったのだった「あんなことはどこでもやっているんだよ」と。「普通に入試を実施すれば、女性ばかりになってしまう。そしたらどうするんだ?」と。私は何を言ってるのか分からなかった。もちろん彼は学校運営に関わるような立場では決してない。しかし不正を知っているのだった。そしてそれをなんでもないことのように言うのだ。しかもさも当然の理由があるといった顔で。仮に女医ばかりになったところで何か問題があるのか、と尋ねると「女性は結婚や出産があるから」と言う。それは病院側がどうにかすればいい問題だよねと言うと、黙る。あまりにもショックだったし、私は心底、この世界に入らなくて良かったと思った。

 

私はどうも自分が間違っているということに対して、声をあげずにいられない性格のようであるから、あれから幾度か叔父とこのことで喧嘩をした。時に団らんの場で恥ずかしながら怒鳴り合いのようなことまでやり、他の親戚にたしなめられたこともある。どうも叔父もやはりそのような性格で、若い時は不正と闘ったこともあるようだが、次第に変えられないことを悟り、諦め、上述のような心境に至ったらしかった。少し、申し訳ないことをしたと思う。誰だって母校をけなされるのは気持ちの良いものではない。

 

しかし果たして私は、一連のアイリンの事件とそれに対する憤りがなかったら、表面上は全く関係のない東京医科大学の件にそこまで怒りを感じることがあっただろうか。『82年生まれ、キム・ジヨン』がきっかけで大切な女の子が傷ついたことがショックで、私はきっと少し変わることができたのだと思う。

 

一方、女性として生きることに敏感になったものの、自分の中でまだまだモヤモヤすることもある。例えば女性だって男性に対してセクハラをすることがあるのではということ。私は男性のK-POPグループも好きなのだが、以前某男性グループの公演で客席の頭上を通過する透明なステージにうつぶせに寝転んだメンバーがセクシーな振り付けを踊るという演出があった。その時女性ファンたちはその振り付けに感じる興奮を「妊娠する」といった言葉や、(本当は書きたくもないが)「正常位」といった単語を用いて表現した。もちろんファン全員ではないが、ツイッターでも目にしたし、実際に現場でも耳にした。私はそういった言葉を好きなアイドルに(直接ではないと言え)向けられるその神経を疑う。下品な例えだが、男性ファンが女性アイドルを見て「犯したい」と言っているのと変わらないと思う。逆の立場になったらどう感じるか、よく考えてほしい。

また、いわゆる「母親ライン」と言われる女性ファンの存在も以前より疑問であった。日本の女性アイドルのコンサート会場に行けば分かるが、いわゆる「おじさん」ファンは多い。そういった人たちがしばしば「ロリコン」と言われるのに対し、自分の息子とそう変わらないような年齢のアイドルに会いに行く女性ファンはなぜ問題視されないのであろうか。(断っておくが、これは純粋な疑問であり、該当する女性たちを軽蔑しているわけではない。私だってそうなる可能性があるのだから…。不快になられた方がいらっしゃったら申し訳ありません。)

 

しかしこのようなモヤモヤの解決は、当面の課題ではない。なぜならあらゆる男女格差の解消は、一方の立場である女性を優遇しようとするものではなく、両者の間で最初から差がつくように設定されていたスタートラインを、平等に同じスタート地点に立てるようにしましょうというものだからである。

 

 

冒頭で私は、アイリンが本を読んだだけでバッシングされたと書いたが、それについて以下の記事が少し興味深い(下線部分)。

그것은 ‘페미니스트 논란’이 아니라 ‘사이버불링’이었다 | 허핑턴포스트코리아

 

그런데 어떤 칼럼들은 그 논조가 좀 이상하다. 몇몇 칼럼들은 아이린을 옹호하는 논리로 그가 <82년생 김지영>을 읽었다고 했을 뿐 책에 대해 어떠한 입장이나 감상도 밝힌 적이 없다는 점을 내세운다. 아이린이 스스로 페미니스트라고 밝힌 적도 없는데 책을 읽었다는 말만 가지고 그걸 페미니스트 선언이라고 해석하고 사이버 테러를 가하는 건 부당한 확대해석이라는 이야기다. 그 말을 뒤집으면 이런 논리가 나온다. 만약 아이린이 자신을 페미니스트라고 수식했다면, 남자들이 몰려가 난리를 피우는 것도 어쩔 수 없다는 논리 말이다. “만약 아이린이 책을 읽고 페미니스트 강연을 하거나 사이비 활동을 한다면 문제가 될 수도 있는 상황. 단지 책 한권 읽었을 뿐인데 그로 인해 비난받을 이유는 1도 없다.”(<스포츠월드> 윤기백 기자. ‘아이린은 책도 못 읽나’. 2018년 3월19일) 책을 읽고 느낀 바가 있으면 그에 대해 강연을 할 수도 있는 것이지, 그게 문제가 될 이유는 또 뭐란 말인가?

 

(以下拙訳)しかしあるコラムはその論調が少し変だ。いくつかのコラムはアイリンを擁護する論理で、彼女が『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んだと言っただけの本について、どんな立場や感想も明らかにしていないという点を掲げた。アイリンが自らフェミニストだと明らかにしたこともないのに、本を読んだと言っただけでそれをフェミニスト宣言だと解釈し、サイバーテロを加えるのは不当な拡大解釈であるという話だ。その言葉を裏返すと、このような論理が出てくる。もしアイリンが自身をフェミニストだと表現したら、男性たちが集まって騒ぎ立てるのも仕方ないという論理だ。「もしアイリンが本を読んでフェミニスト講演をしたり、それに似た活動をするならば問題になることもある状況。単に本一冊を読んだだけなのに、それによって非難される理由は一つもない」(『スポーツワールド』ユン・ギベク記者 "アイリンは本も読めないのか" 2018年3月19日)本を読み感じたことがあれば、それについて講演をすることもできるだろう、それが問題になる理由はまた何だと言うのか?

 

また、この記事にあるように、アイリンを攻撃した男性たちは同じようにこの本を読んだタレントのユ・ジェソクやBTSのRMの写真を燃やすことはなかった。フェミニスト宣言をしたムン・ジェイン大統領の支持を取り下げることもなかったし、この本を紹介する番組を作ったテレビ局に対しボイコット運動をすることもなかった。「結局この怒った男性たちは、自身が見るにあたって扱いやすく感じられる若いガールグループのメンバーにだけ選択的に腹を立てているのであるが、道に迷った怒りさえ人を見ながら扱いやすい相手にのみ吐き出す行為はとても見苦しい」。

 

私はまだまだフェミニズムについて勉強中の身であり、フェミニストと名乗る自信はない。ただいつか、女性も男性も、そしてあらゆる性を持つ人々が互いに尊重し合える世界になるといいなと思う。そのために自分に何ができるのかは正直まだ分からないが。自由でいたいと思う。人の目を気にせず、したいことをして、自由に本が読めるそんな世界であるといい。

 

最後に、私が特に好きなRed Velvetの歌詞を紹介して終わりにしたいと思う。Red Velvetは2014年に'Happiness'でデビューした。その中に「어제 오늘 내일도 행복을 찾는 나의 모험일기(昨日、今日、明日も幸せを探す私の冒険日記)」といったフレーズや、「난 나라서 행복해(私は私だから幸せ)」という歌詞がある。また、2015年に出した1集に収録されている'Cool World'では「좀 다르게 느껴 좀 다르게 봐/더 다르단 건 특별한 거라고/날 사랑해서 내가 나다워서 난 최고의 친구가 돼 나에겐(少し違うように感じて、少し違うように見て、みんなと違うってことは特別だってこと。自分を愛して、私が私らしくて、私は私にとって最高の友達になるの)」と歌っている。女性であることだけではなく、自分が自分であることを全肯定するこういった歌詞こそが、私が彼女たちを好きな理由なのである。

 

アイリンさん、生まれてきてくれて本当にありがとう。

 

 

 

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

 

▼読み途中

女の子は本当にピンクが好きなのか (ele-king books)

女の子は本当にピンクが好きなのか (ele-king books)

 

▼この本は対談形式なので読みやすいし、興味深い。3月当時に読んだので、もう一度読み直す必要があるが…

 

 

アイリンの件に関する参考記事

▼「アイドル消費者は王であるか?」
アイドルに対してお金を使うからといって、何もかも思い通りにできるわけではない、口出しできるわけではないということが書かれている。

www.gqkorea.co.kr

▼「アイリン言及以後『82年生まれ、キム・ジヨン』販売量104%増加」
ファンミ後の2日間で売り上げが上がったが、男性の購入割合は3%下がったという記事

news.naver.com

▼「BTSのRMとユ・ジェソクもまた、アイリンの件に関係するフェミニスト小説を読んだことを明らかにした」

RMのコメントが紹介されている

www.allkpop.com