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ザッピング

チャンネルはころころ変わる

「好き」ということ

雑記

K-POPを聞くようになって一年が経った。

 

この一年、ツイ廃と言われても仕方ないくらい毎日スマホとにらめっこしていたし、22時からの2時間は毎日家にいなければならなかった。正直ニュースが見たい日も、日本のバラエティが見たい日もあったし、海の向こうから発信しているラジオを作業しながら聞こうとしてもそう上手くはいかないもので、結局まるまる2時間を画面の向こうのDJに奪われ続ける毎日であった。自分の意思が弱いせいである。

最初は応援するのは一人だけのはずだったのに、あれよあれよというまに好きな人が増えていって、今じゃどこに出しても恥ずかしくない「雑食ファン」が出来上がった。魅力的な人が多いせいである。

 

たった一年前まで、私の生活にはハングルの「ハ」の字もなかったというのに、今じゃ日常的に最も接している外国語はおそらく韓国語だと思う。

 

一年前まで私何していたんだっけ。

毎日どんなふうに過ごしていたんだっけ。

あの日親友にSUPER JUNIORを紹介されるまで、私は頭のてっぺんから足の先まで宝塚ファンで、特にそれに不満もなく、あの美しい世界に魅了されていたはずだった。一生宝塚を観て生きていくだろうと思っていたし、私のヲタク人生のゴールは宝塚だと思っていた。

いや今でももちろん宝塚は大好きですけど。

他のジャンルが入る余地なんて、どこにもなかったはずなのに。気づいたらK-POPのリズムは私の中にドーンと居座っていた。

 

正直に言おう。

 

一年前まで、私はお隣の国と、そしてそこに生きる人々を快く思っていなかった。

右か左かと聞かれたら、即答で右だった。

レッテルを貼って、個人を個人と思わず塊として見なし、自分で考えずに人から与えられた情報を鵜呑みにすることはとても簡単で楽だった。一年前の私には、あの国の音楽を聞くこと、そして何よりそこの人たちを愛することは、想像もつかないだろうと思う。

 

別に今でも、韓国の全てが好きか?と聞かれたら、それに「はい」とは答えられない。

政治と文化は別だと思っているし(って言うと、あの国は政治の道具としてK-POPを推進しているんだけどそんなことも知らないのか?と難癖つけられそうだが)、私は間違いなく日本人で、それ以外のものになりたいとは思っておらず、日本人として日本が好きなのも、韓国人の方が韓国を好きなのも当然だ。政治の面では思うことがたくさんあるけれど、そのことと、私が誰かを好きになることはあくまで別のことなのだ。

あの頃はこんな簡単なことがわからなかった。日本と同じように、対等な個人の集合体としてあの国ができているのだということを、認めることができなかった。

 

「好き」という気持ちは、私が思ってるよりもずっとずっと大きくて、私を変える力を持っていた。韓国語の勉強を始めたし(亀の歩みだが…)、いつかは渡韓したいという気持ちもある。「好き」が高まった時に、「嫌い」を超えるのは実にあっさりだった。使い古された表現であろうと、「好き」は間違いなく理屈ではなかった。

 

 

だからこそ。

私の好きな彼らは、同じような気持ちで日本のファンを好きでいてくれるのか?と不安になることが、この一年何度かあった。

「ん?」と思う発言を韓国の芸能人がすることはたまにあるし、自ら発信しなくとも発言を誘導されることも、なんちゃらソングを歌わされることだってある。

どんなに日本に来てくれて、どんなに日本語の歌を歌ってくれて、「あいしてます」って言ってくれても、本当は内心正反対のことを思ってるんじゃないかって、そうに違いないって思うことはあるし、実際そう考えてしまえば楽だろう。人の気持ちだけはどれだけ考えても推し量っても正解は出ないのだから、ましてやそこに言葉の壁が立ちふさがればそれはなおさらで、「きっと反日なんだ」と決めつけてしまう方が簡単だ。

 

だから、彼らから日本のファンへの愛情を信じることは、私にとってとても難しくてつらい。

信じきれない自分の心が弱いからだ。目に見える根拠がない。彼らの頭の中を、心をちょーっと覗いて答えを見ることができたら簡単なのに、そうはいかない。彼らの言葉と、態度、ただそれだけを信じるよすがにするしかないのだから。

 

それでも、彼らは全力で伝えようとしてくれている、と思う。

去年のSHINee東京ドーム公演の最後、オニュが韓国語で話した、「このような瞬間、伝えたいことを日本語で話せるようにもっと日本語の勉強を頑張ります。(上手く言えなくて)申し訳ないと思っています。」そしてその上で、「みんなに伝わる言葉だと思います。本当にとてもとても感謝しています。愛しています。」という一連のあいさつ。

 

これを信じなくて、何を信じるんだろう。

こんなにも伝えようとしてくれているのだと、残念ながら私はこの場にいることはできなかったけど、それでもDVDで感じ取ることができた。「日本語ができなくて申し訳ない」という言葉は、それだけ伝えたいことがあるということの証だ。特にオニュは2014年のアリーナツアーでも、「こんなに皆さんの近くにいるのに、(上手く言葉にできなくて)もどかしい」と発言したみたいだし、本当に日本のファンのことをある意味で特別に思ってくれているのだと思いたい。

別に一番じゃなくていい。韓国のファンの方たちが一番で当然だから。それでも、少しでも日本のファンのことを思ってくれてるなら、日本のファンと同じ気持ちでいてくれるなら、とても嬉しいと思う。

 

韓国のアイドルを、彼らを好きになることで、私の中で変わった部分が確実にあった。

自分で何か行動しなくても「嫌い」は成り立つけれど、「好き」は能動的に動くことを必要とするから、それが大変なこともある。それでもやっぱり「好き」なら「好き」の方が、楽しくて嬉しくて幸せな瞬間がたくさんあった。

好きになれて良かったと思っている。親友に感謝している。